高田賢三は妻や恋人はいるの?経歴やKENZO手放した理由が気になる!【爆報!THEフライデー】

こんにちは。yuzukiです。

ファッションブランドKENZOの創立者高田賢三さんが、爆報!THEフライデーに出演いたします。

高田賢三さんは、KENZOを手放したことは知っている方も多いのかもしれませんが、それはどうしてか?

奥さんや恋人などがいらっしゃるのか?など気になり調べてみることにしました。

今回は、高田賢三さんの気になる!を紹介させていただきますね!

気になった皆さん、これから一緒に確認していきましょう。

高田賢三さんのプロフィール

出典 http://fashionpost.jp/portraits/119289

高田賢三

ファッションデザイナー

生年月日 1939年2月27日

出身地 兵庫県神崎郡(姫路市)

姫路市立野里小学校→姫路市立広嶺中学校→姫路県立西高等学校を卒業。

すべて公立の学校で、高校は公立の中でも偏差値70とレベルの高い進学校のご出身でした。

ただ、成績は良いものの勉強は嫌いだったらしいのです!意外ですよね。

ファッションに興味はあったものの当時は男性の募集枠がなく、仕方がなく高校卒業後は神戸市外国語大学という、兵庫県にある公立大学へ進学。

しかし、大学は好きなファッションができずに退屈だったそう。あるとき、ファッションの学校で男子も募集されていることを発見し受験。文化服装学院デザイン師範科へ進学をしました。

文化服装学院とは、東京都渋谷区にある専門学校で、日本で初めてファッションに特化した授業を学べる学校です。

そこで高田賢三さんは、ファッションを学び卒業。

同級生には、ファッション業界で有名なコシノジュンコさんや金子功さん、松田弘光さんなどがいらっしゃるそうで、花の9期生と呼ばれるほどでした。

高田賢三さん以外にも、有名デザイナーが一緒に授業を受けていたなんてとても豪華ですよね。

文化服装学院卒業後の1960年(21歳)の時、第8回装苑賞という新人デザイナーのファッションテストにて受賞。

25歳(1965年)、当時働いていた「三愛」を休職し、パリへ旅経ちました。

パリのファッションのすばらしさに魅了され休職の期限の6か月を過ぎ、そのままパリに滞在することを決心。

パリでは、ワンピースの既製品を扱うメーカーに誘われ就職。

半年後、デザイン会社の「ビューロードスチール」に就職。

1970年に独立し、現在のKENZOである「ジャングル・ジャップ」をパリに立ち上げ、作品が「ELLE」の表紙に掲載されるほど注目されるようになりました。

その後はパリ・コレクションを開催するなど、世界的なファッションブランドまで大きな成長を遂げました。

しかし、1993年にはKENZOを手放し、一時デザイナーを退くことに。

2003年に復帰。

2004年にはアテネオリンピックのユニフォームのデザインを手掛け、現在に至ります。

高田賢三さんは、兄2人、姉2人、弟2人の7人兄弟で、特に年が近かった姉と遊ぶことが多かったのだとか。

そのお姉さんが呼んでいたファッション誌に魅了をされて、ファッションの勉強をしたいと思ったそうですよ。

年の近かったお姉さんがいたからこそ、世界的に有名なファッションデザイナー高田賢三さんが生まれたのですね。

高田賢三さんについてもっと知りたい方は次のページへ

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