中田久美(バレーボール全日本女子監督)が怖い?!経歴やモデル時代があった?!【炎の体育会TV】

こんにちは。yuzukiです。

バレーボール全日本女子監督である中田久美さんが、炎の体育会TVに出演いたします!!

中田久美さんは怖いというワードを発見したので、本当かどうか?経歴なども合わせて調べてみましたよ!

今回は、中田久美さんの気になる!を紹介させていただきますね。

気になった皆さん。これから一緒に確認していきましょう!

スポンサードリンク

中田久美さんのプロフィール

出典 http://number.bunshun.jp/articles/-/828389

中田久美

バレーボール全日本女子監督

生年月日 1965年9月3日

出身地 東京都練馬区

身長 176㎝

血液型 A型

中田久美さんはバレーボール全日本女子の選手だったのは知っている方も多いかと思われます。

バレーを始めたきっかけは中学生の時にお母様の助言でした。

練馬区立練馬東中学校に入学後バレーボールを始め、中学2年生の時には元全日本女子バレーボ-ルの監督だった山田重雄さんの主催する『LAエンジェルス』に入団。

高校は、バレーを生活の中心とするため通信制のNHK学園高校へ進学をしました。

青春をバレーに注いだのですね。それだけバレーに熱中していたのでしょう。

なんと、中学生の同級生に尾崎豊さんがいたらしいですよ!豪華!!

バレーボールの現役選手を引退した後に結婚するものの、現在は離婚をしています。

離婚理由は、旦那さんに完璧を求めすぎたからだそう。

夫婦の価値観のずれが生じてすれ違いになったのかなと思われます。

経歴

中学生からバレーが中心の生活となり日々練習に励んだためか、中学3年生の時に史上最年少で全日本代表に選出されセンタープレイヤー(中心にいる選手のことでブロックをする)として出場。

その後、素質が評価されセッター(主にトスをする選手のこと)に抜擢されました。

セッターに転向してから1年後、日立ベルフィーユに所属しスタメンを獲得、全勝優勝に大きく貢献をしました。その時に新人賞を受賞しています。

高校1年生の時に大人と一緒に戦い、しかもスタメンで出場するなんて相当な腕前ですよね!!

かなりの素質があったのと、日々努力を重ねたからこその結果だったのでしょうね。

1983年から全日本女子の代表選手でもスタメンに選ばれ、アジア選手権では優勝。翌年のロサンゼルスオリンピックでは銅メダルを獲得。

1986年には主将を務めました。しかし、練習中に右膝前十字じん帯を断裂。

再起不能と言われていましたがリハビリのおかげで復帰。その後右ひざの手術をするものの完治することができませんでした。

当時は痛み止めの注射をしながら試合に挑んでいたとのことで、主将としての責任感が強く、やらなければ!という気持ちが強かったのはないでしょうか。

1988年ソウルオリンピックに出場、1992年バルセロナオリンピックに出場を果たします。

こちらを機に、現役引退を発表しました。

3大会オリンピック選手に抜擢されるということは、なかなかできることではありませんよね。しかもけがを負いながら…。そこまでしても中田久美さんは必要な人材だったということになりますね。

1995年に現役復帰。1996年にアシスタントコーチに就任。

1997年所属していた日立ベルフィーユを退所。バレーボール教室の指導や、バレーボール解説者、タレントなどの活動を開始しました。

2005年から1年間バレーボール協会の強化委員に抜擢され、海外バレーボールチームのコーチやアシスタントコーチとして選手の指導をすることに。

2011年には久光製薬スプリングスコーチに就任し、翌年は監督に就任。

女子チームとして初めての3冠を獲得することとなりました。

2016年にはバレーボール全日本女子監督に就任。久光製薬スプリングスでは総監督となるものの、2017年には退所しています。

これから見ると選手としてはもちろん、コーチや監督としても素晴らしい方だということがわかりますよね。

指導内容が的確だからこその快挙なのかなと思いました。

スポンサードリンク

中田久美さんのモデル時代や、怖いと言われるのが気になる方は次のページへ

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする